1980年代〜2000年まで

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1980年代〜2000年まで

ここで全国区でのお笑いの変遷について見てみます。

まずは、視聴率50%以上をたたき出したモンスター番組、ドリフターズの
「8時だよ、全員集合!」から。

この番組は今尚人々の記憶に残る、バラエティ界の長寿番組であり、1980年代
中盤まで、実に20年近く放送されていました。

1980年といえば、まずお笑い界では空前の漫才ブームが来て、私たちは関西の
漫才師の実力を知ることになったのです。

その後、「お笑い芸人はコンビで活動」という常識を覆し、コンビを解体して
コントを作り上げていったのが、「おれたちひょうきん族」です。

この番組では、島田紳助さんや、明石家さんまさんらが活躍し、後に芸能界に
君臨する足場を築いた気がします。

勿論、ひょうきん族では、ビートたけしさんや山田邦子さんの活躍も
目覚ましかったです。

90年代に入ると、バラエティ番組に「ひな壇」という場所が設けられるように
なります。

それまでは芸を売り物にしていた芸人さんたちが、番組のわき役に回って
トークを繰り広げる、という構図が生まれたのです。

このひな壇というシステムを導入したさきがけが、ビートたけしさんによる
「元気が出るテレビ」です。

この番組でフル稼働したひな壇システムは、その後すっかり定着することになり、
FUJIWARAや博多華丸・大吉さんら、「ひな壇芸人」という新たなカテゴリの
芸人さんを生み出すことになったのです。

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